タルタロス・ドリーム 死神編3


夏休みに入り、学校へ登校する生徒はいなくなる。
けれど、プリンスはしょっちゅう飼育小屋を訪れていた。
たまに死神がいるときもあるし、いないときもある。
授業時間を気にしなくてもいい、気楽な環境で死神に合えるのはとても嬉しかった。

動物と接している姿を見ると、プリンスはたまに、自分も同じように撫でられたい衝動が湧き上がる。
けれど、口で堂々と言うのは恥ずかしくて、しにがみをちらちらと見ることしかできないでいた。
もどかしい時間を過ごす中、もう一つ楽しみにしているイベントがあった。

楽しみなイベント、それは死神が作った肝試しだった。
墓場に肝試しスポットを作ったらしく、一番奥まで行ければご褒美が出るらしい。
最初は尻込みしたけれど、ご褒美と聞いてプリンスはやる気になっていて
深夜、プリンスは一人で墓場に赴いていた。

他の生徒はまだ尻込みしているのか、誰もいない。
墓場はぼんやりと道が照らされているが、光が赤くて不気味だ。
プリンスは唾を飲み、墓場へ足を踏み入れる。
その瞬間、蝉や虫の声がやみ、辺りが静寂に包まれた。
引き返すなら今だと警告されている気がして、立ち止まる。
けれど、死神の姿を思い浮かべ、プリンスは足を進めた。


静まり返った墓場の中を、プリンスは周囲を警戒しつつ進む。
辺りを見回していると、視界の隅に光るものがちらと見えた。
懐中電灯の光かと、目を向ける。
けれど、そこにあったのは宙を漂う人魂だった。

「ひ・・・な、何だ、人魂か」
それなら魔物が落としたことがあるし、死神にあげたことさえある。
もしかしたらと思い進んで行くと、出てくるものは見覚えのある生首や、魔物の素材をひっつけたものだった。
魔物に馴染みのない生徒は驚くだろうけど、しょっちゅう倒しているプリンスは別だ。
悲鳴を上げることなく、順調に奥までたどり着くことができた。

一番奥の墓場の上には、赤いお札が置いてある。
これを取れば何か出てくるかと、警戒して札を取る。
けれど、特に何も起こらず、拍子抜けした。
反転し、軽い足取りで帰り道を辿る。
自分にとっては楽勝だったと、プリンスはだいぶ油断していて、背後に迫る気配に気付かなかった。


中間地点の辺りまで来たところで、背後から変なダミ声が聞こえる。
はっとして振り向いたとき、目の前には自分の背丈以上の化け猫が牙を剥き出しにしていた。

「ね、猫・・・!」
ただでさえ苦手な猫が、目の前で、今にも飛び掛かろうとしている。
逃げないと、牙に貫かれ、爪に切り裂かれる。
けれど、足がすくんで動けない。
白猫や黒猫には慣れたけれど、こんな化け猫は範囲外だ。
猫がダミ声で鳴くと、プリンスはふらつき、その場に尻餅をついた。

恐怖で声すら出ず、涙がにじむ。
猫が飛び掛かってきたとき、目を閉じて顔を背ける。
そのときに浮かんだのは、死神の姿だった。


体を引き裂かれる痛みが襲ってくるかと思いきや、何も感じない。
恐る恐る目を開くと、そこに猫はいなくなっていた。
「おめでとう、プリンス。札を取ってこられたんだね」
墓場の中から死神が現れ、プリンスに歩み寄る。
これは自分の願望が見せている幻だろうかと、プリンスは目を疑った。

「あ、あの、今の猫は・・・」
「あれは映写機で出した映像だよ。君を脅かすのは、これくらいしか思い付かなくてね」
安心して気が緩み、プリンスの目尻から涙が流れる。
死神はすぐにプリンスの前にしゃがみ、指でそっと涙を拭った。
「札を取れたのは君が初めてだよ、おめでとう。ご褒美をあげないとね・・・」
死神が立ち上がるが、プリンスは座り込んだまま動けない。
完全に腰が抜けて、足に力が入らなかった。


「あ、あの、ご褒美って・・・物じゃなくてもいいんですか」
このまま死神が行ってしまう気がして、プリンスはとっさに呼びかける。
「いいよ。名誉ある一番目の到達者だ、何が・・・」
「先生の家まで・・・運んで下さい」
反射的に、プリンスはそう言っていた。
このまま放っておかれたくなくて、傍にいたくて、心から望んでいた。

死神は口をつぐみ、プリンスを見下ろす。
迷っているようだったが、やがて、プリンスに肩を貸して立ち上がらせた。
「運ぶだけじゃ、終わらないかもしれないよ」
「それで構いません。・・・少しでも長く、一緒にいたいんです」
零れ落ちるプリンスの本音を、死神は受け止めた。




死神の家は、おどろおどろしい廃墟、ではなく、いたって普通の一軒家だった。
部屋には必要最低限のものしか置いていなくて、小ざっぱりしている。
死神はプリンスをソファーの上に下ろし、隣に座った。
「疲れただろう、何か飲むかい」
「あ・・・はい」
緊張気味に返事をすると、死神が部屋を出て行く。
まさか、本当に願いが叶えられるとは思わず、プリンスには緊張と興奮が入り混じっていた。

部屋の明かりは穏やかで、静かで、気が落ち着く。
死神の雰囲気に合った部屋だと、プリンスは安らいでいた。
「お待たせ・・・何もない部屋で、退屈だったかな」
「いえ、先生の家にいると、何だかほっとします」
プリンスは、死神から透明度の高い液体が入ったコップを受け取る。
少し揺らすとかすかに光が反射して、かろうじて中身が入っているのだとわかる。
墓場の一件でだいぶ喉が渇いていて、中の液体を一気に飲み干した。

「それにしても、君は物好きだね・・・ボクなんかの家に来たがるなんて」
「先生の傍にいると落ち着くんです。他の人にはない、独特な雰囲気があるからかもしれません」
安心したからか、本音が包み隠さず出てくる。
死神は、子供をあやすようにプリンスの頭を撫でた。
こうされると、心地よくて仕方がなくなって、プリンスは目を細める。
思わず、死神との距離を詰め、傍に寄っていた。


「オレ・・・先生に撫でられるの、好きです」
「動物を撫でるのに慣れているからかな・・・きっと、そうだね」
死神は断定的に言い、手を引く。
プリンスは、失礼かと思いつつも死神に寄り添った。
お互いの腕が触れ合い、ほのかな温度が伝わる。

「駄目、ですか。あんまり近付くのは」
「・・・あまり、良いことではないね。曲がりなりにも、ボクと君は先生と生徒だから」
良くないことだと告げられ、プリンスは眉根を下げる。
けれど、そんな言葉の一つだけで行動を止めることはできなかった。
プリンスは、おずおずと死神の腕を掴む。

「・・・好いてくれることは嬉しいよ。だけど、踏み越えてはいけない一線はあるんだ」
「オレが先生の生徒だから、駄目なんですか」
死神は口をつぐみ、返事をはぐらかすように、プリンスの肩に腕を回した。
心地よさからか、プリンスのまぶたが急激に重たくなる。
墓場で疲れたのか、それにしても急だった。
自分で体を支えるのもだるくなって、死神に体重を預ける。


「・・・何だか、すごく、眠たい・・・」
「そうだろうね。このまま、眠ってもいいんだよ」
緊張と興奮で目が冴えてもおかしくないのに、プリンスは睡魔に逆らえない。
まさかと思い、さっき飲んだ水のことを思い出す。
けれど、死神によりかかれることが幸せで、何も言わなかった。

「ここで寝ても、いいんですか・・・」
「安らかに眠るといい。お互いの抑制が利かなくなる前に・・・」
プリンスは、静かに目を閉じる。
すると、すぐに何も考えられなくなって、寝息を立て始めた。
愛しい相手の腕の中で眠れるのは、安らかに違いなかった。




翌日、プリンスは自宅で目を覚ました。
昨日のことは夢だったのだろうかと、記憶を辿る。
だいぶぼんやりとしていたけれど、ポケットに札が入っていることに気付いた。
確かに死神の家にいたのだと、思い出す。
死神の腕に抱かれて眠ったと思うと、今更ながら頬が熱くなった。

それからしばらく、プリンスと死神の関係は進展も後退もしなかった。
魔物の素材を持って行って実験したり、飼育小屋で動物の世話をしたりと、いたって普通の日が続く。
そんな状況にもどかしさを感じたプリンスは、とある物を作っていた。
物騒な薬品でもないし、合成した魔物でもない。
普通のものを死神が受け取ってくれるかわからなかったけれど、今日は渡すにはうってつけの日だった。


放課後、プリンスは普段通り飼育小屋へ行く。
すでに死神が中に居て、プリンスは緊張していた。
「こんにちは、プリンス。毎日来てくれて嬉しいよ・・・」
「い、いえ・・・」
緊張で口が渇いて、単調な返事しかできない。
まごついていたら機会を逃しかねないと、プリンスは思い切った。

「あ、あの!今日、何の日かご存じですか」
プリンスの問いかけに、死神は黙る。
今日のイベントのことなんて興味がないのか、知らないふりをしているのか。
プリンスは死神に近付き、思い切って小箱を差し出す。
ラッピングされているしゃれた箱は、その外装だけで中身が予測できるものだった。
死神は動物から顔を背け、プリンスとその箱に目をやる。


「・・・プリンス、君はボクのことが好きなのかい」
その、「好き」にはどこまでの意味が含まれているのだろうか。
自分でもはっきりさせられなかったが、プリンスは頷いていた。

「あまりボクに深入りしない方がいい。黒猫のように、君を不幸にさせてしまうかもしれない・・・」
「そうだとしても、オレは後悔しません。・・・それが、オレ自身で選んだ道だから」
死神はじっとプリンスを見詰めたが、その視線は一時も揺るがない。
死神はふっと表情を緩ませ、箱を受け取った。

「・・・ありがたくいただくよ。大切に食べさせてもらう」
箱が手から離れた瞬間、プリンスは喜びを抑えきれず、はにかんで笑う。
そして、その言葉が箱の中身ではなく、自分に向けられればいいのにと、そんなことを思っていた。



―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
墓場イベントとバレンタインはどうしても入れたかった・・・
本来なら、この後は不思議なエンドに行きますが、普通にいちゃつかせます。